SASの歴史(2006〜2013)

自己紹介

画像引用元:https://twitter.com/spurs

第1回目の記事で書いたように
私の好きなチームは2013-14のSASです。

NBAを見始めてからSASが1番好きなチームというわけではなかったのですが
徐々にチーム力を高めて優勝を目指す姿を見て、応援しようと当時思いました。

2013-14シーズンを振り返る前に、今回の記事では
私が観戦を始めてから優勝する前のシーズンまでの
SASを振り返りたいと思います。

2006-07シーズン〜2011-12シーズン

SASは2006-07シーズンに優勝してからは
なかなかfinalに進めずにいました。

2008-09シーズンはジノビリの怪我などが響き
ファーストラウンド敗退。

2009-10シーズンはカンファレンスセミファイナルで
当時お得意様だったPHXにスウィープ負け。

2010-11シーズンは当時アイデンティティだった
ディフェンスを犠牲にアップテンポなオフェンスを展開し
見事第1シードを勝ち取りました。

しかし第8シードのザックランドルフ・マークガソル率いるMEM相手に
インサイドを制圧され、まさかのファーストラウンドで敗退してしまいます。

ここらへんで「スパーズの時代が終わった」と巷では言われ始め
私も本気でそう思っていました。

アイデンティティのディフェンスを犠牲にするのは
邪道ではないかと当時思っていました。

しかし翌年の11-12シーズンは得点力を維持しながらも
ディフェンスが改善され、ポップはCOYを受賞します。

レギュラーシーズン後半からカンファレンスファイナル第2戦まで
20連勝するなど順調にfinalに進出すると思われましたが・・・

そこからOKCにまさかの4連敗で敗退してしまいます。

当時カンファレンスファイナルは深夜にBSで
全試合録画放送がありましたので
日中は結果を見ないようにして、必死にSASを応援しました。

後がない第6戦はスティーブンジャクソンのon fireもあり
大接戦だったのですが・・・

KD・ラス・ハーデンのBIG3を抑えられず敗れてしまいました。

この年はカワイの入団・パティーミルズ・ボリスディアウを獲得し
ダニーグリーンやゲイリーニールが成長を見せるなど
BIG3以外の成長と優勝メンバーを多く迎え入れる年となりました。

2012-13シーズン

SASファンにとっては思い出すのが辛い年ではありますが
振り返っていこうと思います。

第2シードでプレーオフに出場しましたが
1回戦は負傷者続出のLALに4-0
2回戦は第6シードのGSWに4-2
カンファレンスファイナルは第5シードのMEMに4-0と
下位シードとの対戦が続き、比較的順当にFinalまで辿り着きました。

相手はレブロン・ウェイド・ボッシュの3KINGS率いるMIAです。
レブロンとダンカンが久しぶりに顔を合わせるFinalとして注目を集めました。

シリーズ途中まではSASのペースで進んでいきます。

第1戦パーカーのクラッチシュート
第3戦ダニーグリーン・ゲイリーニールの大爆発
第5戦不振のジノビリがスターターになって活躍など。

当時はHOME-AWAYが2-3-2のフォーマットだったため
3勝2敗と王手をかけて、敵地MIAに乗り込み運命の第6戦を迎えます。

NBA Final 悪夢のGAME6

当時私は大学生で、授業をサボって第6戦をテレビで見ていました。

試合は3QにSASが二桁のリードを奪いますが
MIAのマイクミラーがバッシュが片方脱げたままの片足靴下スリーを決めたり
ヘアバンドが取れてリミッターが外れたレブロンが襲いかかり
4Q終盤でクロスゲームとなります。

終盤SASはパーカーがチームを引っ張ります。

残り2分切って3点ビハインドの場面から
アイソでレブロン越しにスリーを決めて同点。
その後、スティールからショートジャンパーを決めて逆転します。

このクラッチタイムのパーカーは本当に神がかっており
SASが勝っていたら、2度目のFinal MVPを受賞していたと思います。

その後はMIAのターンオーバーが続きますがSASはファールゲームの
フリースローを決めきれず、3点差で最後のポゼッションを迎えます。

そして・・・

レブロンのスリーが外れますが
ボッシュがオフェンスリバウンドを奪います。

そしてスリーポイントラインまで下がるレイアレンにボールが渡り・・・

Baaaaaang!!

劇的スリーを決められて同点に。

当時は本当になにが起きているのか
意味がわかりませんでした。
は?え?なんで?え、嘘やろ?

そんなことをテレビに向かって叫びながら
1人で頭を抱えていました。

延長で第6戦は敗れてしまいます。

第7戦はダンカンが奮闘したものの
レブロンの活躍とシェーンバティエが急に大爆発して敗れてしまい
優勝を逃してしまいました。

今思い返せば、この時の負けがあるからこそ
翌年の優勝がより輝かしく思えるのですが
選手もファンも本当に辛い瞬間だったでしょう。

私も負けたあとしばらくモヤモヤというか
謎の後悔みたいな念がありました。(自分ではどうしようもできないけど)

パリ五輪で日本がフランスに負けた時とよく似ているでしょうか。
絶対勝てたはずなのに・・・という感覚というか。

SASにとっては後味悪く2012-2013シーズンは幕を閉じました。

次回の記事では
私が歴代で1番好きなチームの2013-14シーズンSASの
ロスターを紹介したいと思います。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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